2004年01月18日
第11章・オタクと色気
「塾とはマチガイをしに行くところ」と以前の章でも述べたが、
つまり「塾とはマチガイを指摘・訂正されに行くところ」と言えると思う。
塾に限らず、習い事とはすべからく特殊な環境だと思う。
日常生活で、何かを間違ったまま認識していたとしても、
(そのマチガイが引き起こす被害が自分に及ばない限り)
基本的には放置されるであろう。
面と向かって相手の誤りを指摘したりしたら、それこそ角が立つ。
だからヒトは「先生役」のヒトにわざわざお金を払って、
自分の間違いを訂正させるのである。
さて授業中に生徒の解答の間違いを指摘するとき、
その生徒のリアクションパターンというものがある。
「何ぃ?!」「何だってえ?」「何てこった!」「はめられた!」「死んだ…」等々
そのパターンは個性というより概してマンガやアニメ、ゲームなど
何かのキャラクターのコピーっぽい台詞、声色、仕草と言える。
それだけなら珍しくも何ともない。
問題なのは、すべての会話がこのように台詞、声色、仕草を含めて
パターン化している「オタク」の生徒が、
男女・年齢を問わず例年確実に存在することだ。
私はオタクを
「誰にでも同じ内容のデータベースを、同じ口調で話す<状態>」
と定義している。
誰でも、車の話となったら語り出して止まらない、であるとか、
このドラマの話題になると、ちょっと私はウルサイよ、
という<こだわり>の分野が必ずある。
その話題になると熱っぽく説明したり、博士と化してしまったりする、
あの状態にある人は、概して溜め込んだ情報のアウトプットへの欲求が強く、
相手の状況へのインプットへの配慮が乏しい。
空気が読めないまま、一方的にデータを吐き出すのだ。
つまり誰もがオタクになる瞬間を持っている、と思う。
このデータベース・トーク状態が、発言の大半を占めてしまっている人間を
「重度のオタク」と考える。
重度のオタクの生徒は個人差はあれ、一様に芝居がかっていて、
その場の空気に関わりなく基本的に同じ反応を返し、
データベース・トークをしたがる。
「センセ知ってる?あのさあ」
「君が今から振ろうしている話題は、授業と関係があるのか?」
「んー直接はないんだけど…」
「じゃあ面白いのか?面白ければ許す」
「んーそこまで自信は…」
「オチは?」
「んー…」
「授業と関係なく、面白いかどうか保証のない話をするな。
場の空気を読め。今のこの場の空気は金で買えないほど高価なものだからだ」
「はあ」
「君には色気がない。それは憂うべきコトだ」
「はあ?」
「いいか。成績が上がらなくてもいい。
−それはそれで問題だが−世間的にたいした実害はなかろう。
しかし!色気のない生徒を世の中に送り出すことに関しては
私は猛烈な抵抗を覚えるのだよ」
「はあ…」
色気というのは実は性的なことではなくて、
「私はアナタに対して関心がありますよ」
「アナタは私にとって特別な存在ですよ」
という態度を相手に対して見せ続ける行為だと思う。
人を見て法を説くのは対人関係の基本中の基本。
誰に対しても同じ声色、同じ内容、同じ仕草のトークでは、
同性だろうが異性だろうがウンザリされて当然であろう。
あるご父兄から頼まれたことがある。
「先生、ウチの子はシャイで、外人から道を聞かれても
恥ずかしがって逃げてしまうのです。
そのぐらい答えられるようにしてください」
実際、地図を片手に外人が話しかけようとするだけで
ばばーっと通行人が逃げていってしまう風景を見たことがある。
これは英語力よりむしろ、思いやりレベルの問題だと思う。
なぜ困っているヒトがいても無視して通り過ぎ、
自分が英語を間違えることの方を恐れてしまうのだろう。
身振り手振りで交番まで連れて行ってもいいし、
だいいち日本なんだから、日本語で説明しても構わないのに。
ちなみにラテン系の人間なら、
たいそう親切に間違った方向を教えてくれたりするものだ
(それもどうかと思うが)。
ラテン系と言えば、イタリア語講座で以前
「trattoriaはトラッ・トリアじゃなくてトラット・リーアが正しい発音ですよー。
トラッ・トリアが正しい発音だと思ってる人が多いですけど、
トラッ・トリアじゃないですよー」
などと説明しているのを聴いたとき(実際は違う単語です)、
「なぜ正しい発音は1回しか言わないのに、間違った方は3回も言うんだ!
エラーを強調して連呼してどないすんじゃー!」
と思わずブラウン管にツッコミを入れてしまった。
私は基本的に「次の文に誤りがあれば訂正しなさい」
という設問は生徒に解かせないようにしている。
何が正しいか間違いか、あやふやな状態のまま、
わざわざ誤解を煽るような問題を出しても意味がないと思うし、
正しい文法を与え続けることが、何よりもエラーを減らすと信じるからだ。
とはいえ、誤答の逸品をご紹介。
次の各文に誤りがあれば訂正せよ。
問1.Mt. Fuji is 3776 meters tall.
富士山は高さ3776mだ、と言いたいのだから、
tallは不適切。よってMt.Fuji is 3776 meters high. が正解。
となるのだが、
Mr. Fuji is 3776 meters tall.
(「フジさん」は身長3776mだ)
と解答した生徒がいた(中2女子)。
ちょっと人間にしては、背が高すぎると思うが、
rをtに変えただけだ。たった一文字で見事な変化である。
クイズ番組も激減し、
ちょっとネットで調べればすぐさま答が用意されているご時世、
個人の記憶のデータベースのみで勝負することの意義は
年々薄れていると思う。
(むろんオタクの生徒のデータ収集力にはとてつもない可能性を感じる。
勉強のゲーム性に気づくと大化けする傾向があるのもオタクの生徒のいいところ)
以下、オタク度の高い生徒に対する叱咤激励の例。
「これはトリビアじゃない、常識だ。知っておけ」
「ひとつのメディアに偏らず、まんべんなく情報を入手しろ」
「博識になれ」
「もっと笑いを取れ!ウケをねらえ!」
「色気を出せ!」
「モテろ!」
2003年07月30日
第10章;テキストより厚いサブテキストたち
ある日、講師室の中でローリングストーンズの
「ホンキートンク・ウィメン」を口ずさんでいたときのことであった。
It's the honky tonk women
Gimme, gimme, gimme the honky tonk blues
「う?」
「どうなさいました?」
「いや、women って人間なのに、なんで主語が It's なの?」
「あ、そう言われれば。あれ She's じゃなかったですっけ?」
「いや、She's だとしてもおかしい。women で複数形だもの。」
「あ、たしかに。」
対訳などでは、
「それは酒場の女たち くれよ酒場のブルースを」
と表記されることの多いこのフレーズ。
講師室で講師数人とやいのやいの言ってるうち、
「これは It that の強調構文だ。
It's the honky tonk women
(that) gimme gimme gimme the honky tonk blues
オレに酒場のブルースをくれるのは、酒場の女たちなのさ
と言いたいのだろう。」
という結論に落ち着いた。
続きを読む "第10章;テキストより厚いサブテキストたち"第9章;それ以前の問題
「センセあたしはさー、センセにも敬語とか使わないって決めてるから。
タメ口で通すからよろしく」
「はあ。私は別に構わないけど」
「だいたいさあ、先輩だからとか年上だからって理由だけで
その人が尊敬できるとは限らないじゃん」
「まったく同感。敬意のこもらない敬語なんて、慇懃無礼なだけだもんね。
ところで、ホントに敬語を使うに値する、
尊敬できる先生が現れたとき、どういう対応するつもりなわけ?
A)先生、もう一回言って って時と
B)放課後職員室に行くよ って時では、どーよ?」
「言えるよ、それぐらい。ええと、
A)先生、もう一回言ってください。
B)放課後職員室に行きます。」
「ぶぶーぶぶー。2問とも不正解。正解は、
A)先生、もう一回おっしゃってください。
B)放課後職員室に伺います/参ります。
普段から使い慣れてない敬語なんか、いざって時に出るわけがなかろう。
ちなみにこの程度の敬語なら、県立高校レベルの入試にも出題されるよ」
「いいもん、人生、受験だけがすべてじゃないもん。
学歴なくたって生きていけるもん」
「しかりごもっとも。じゃあ早くして働きはじめるわけだ。
だったらなおさら敬語ぐらい満足に話せなくっちゃ話にならんわなあ。
電話番も任せられないもんなあ」
「う」
「ま、気が向いたら、普段から敬語を使うことだね。
敬意のあるなしにかかわらず」
第8章;修行と戒め
私が最初に講師のアルバイトを始めたのは
神奈川県にあった某個人指導塾である。
雑居ビルの4階で、他のフロアには、
消費者金融、エステティックサロン、カツラ店などが入っており、
ビル全体がコンプレックスで商売にしているような、この場末の塾が
私の塾講師修行の幕開けであった。
この時の塾長(雇われ塾長だったのだが)は、実にユニークな人であった。
以下、求人広告を見て面接に行った際の会話。
「あなたの出身大学はどちらですか?」
「○○○大学です」
「そうですか。くれぐれも、生徒には学歴を明かさないでください」
「はあ」
「生徒に与えるプレッシャーは計り知れないので。
それほど学歴偏重というのは、弱い者を攻撃するのです」
「なるほど」
「あなたの得意科目は何ですか?」
「英語です。国語も何とかなると思います。数学はどうも苦手で…」
「ではまず数学からお願いしましょう」
「えーっ?」
「講師の皆さん自身が、苦手な科目から教えて頂くことにしています。
苦手な科目は、教える本人がよく準備・研究するようになるし、
なにより、できない生徒の気持ちがよくわかるはずなので」