その日もまた、雨が降っていた。いつ果てるともなく銀砂のごとく舞い落ちる雨滴を眺めながら、そうして灰色に煙る海に面していると、地の果てに来たような寂寥が一層深まっていくようでいっそ心地よかった。もう間もなく日も暮れようという頃合いで、真っ白に垂れ込めていた雲が心なしか朱鷺色に染まっている。後ろに控えていると思われる山のほうから、奇妙に甲高く、それでいてしゃがれているような鳥の声が響いてくる。
ホトトギスだな、と思ったが、宿の仲居は「ホンゾンですね」と何気に呟いた。ああ、この島ではそう呼ぶのかと思ったが、続けて「アメフリホンゾン」と聞こえたので、妙にひっかかった。何でもこの辺りではホトトギスが鳴くと雨が降るというので、そうした言い方をするらしい。なぜホトトギスと雨が対になって語られるのか聞こうと振り返った時、鴨居のあたりに不思議な青いオタマジャクシのようなものが漂っているのが見えた。あれは何だろうと考えているうちに、また鳥の叫び声が聞こえた。オタマジャクシめいた奇妙なものは、それをきっかけにふいっと消えた。
仲居に問いかけようとしたら、いつの間にか彼女の姿もなくなって、ただ薄暮の部屋が寒々しく残されているばかりである。階段の下を覗いてみたが、ただ暗闇が広がるばかりで森として人の気配も感じられなかった。
その日は何だかはっきりとしない天気で、波は穏やかなのだが薄暗い灰色の雲が遥か水平線までうねうねと繋がり、単調な気色を見せていた。釣果のほうもさっぱりあがらず、昼時分を過ぎたばかりではあったがそろそろ港に引き上げようかと考えはじめたころ、ふと沖合にやった目の先に、何だか奇妙な黒いものが映った。
ゑんぜだ、と気が付いて総身の毛が逆立った。気が付くと、ゑんぜはするすると船に近付いてきて、いつの間にか釣り糸に触れんばかりのところまできている。機関に火をいれ、釣り糸をあげる間もなく慌てて浜を目指して船を疾らせた。ぶつかるような勢いで汀に乗り上げ、沖を振り返ると、ゑんぜは船を追いかけて一町ほどのところまで迫っている。家に駆け込んでもなお、ここまで追ってくるのではないかという思いが離れず、その晩は家中の灯火を絶やさなかった。
翌日浜に向かってみると、頑丈な船腹が引き裂いたように抉られていたそうだ。島根を旅した際、知り合った漁師の息子から聞いた話で、なんでも戦後すぐの頃のことだという。ゑんぜとはどういうものか訊ねたが、その男もよくは判らないとのことだった。
その小路に入ると、空気まで変わったような気がした。くすんだ板塀が続く向こうに、造り酒屋の大きな蔵がいくつも並んで見える。車の通れぬ狭い路地は石畳で覆われ、迷路のように入り組んで視界を妨げた。そろそろ暮れようかという頃合いで、見上げると懐かしい黒い電柱に吊るされた裸電球がぼんやりと橙に輝きはじめ、はや薄青く染まりつつある街角を浮かび上がらせている。
電柱に記された地番が読めず、通りすがりの老婆に尋ねたところ「鞆」と書いて「トモ」と読むらしい。かつての街道筋かと思われる太めの路地を曲がってまっすぐ歩くと、つきあたりに海が見えた。
近付くと、海の底に向かって石段が下り、そのまま海中にと没している。港と思われるそこには、巨大な石灯籠が屹立しこれもまた橙の火を灯していた。人気も絶えてただ広場に面した時代がかった郵便局にあるポストだけが私と二人ぼんやりと立っている様は妙に薄ら寂しく、なんだか愉快な気分で石段に腰掛け暮れ行く海を眺めていると、傍らにいつの間にか浴衣姿の少女が腰掛けていた。
その石段は「ガンギ」といい、江戸の昔からそこにあるという。この港の小さな入り江はその頃から少しも形を変えていないらしい。まるで海という劇場に向かって階段桟敷が広がるようなその光景に心奪われ、少女の灯す線香花火にしばしつき合っていると、そのうちに海からのそのそと小さな灰色のものが石段を這い登ってきた。ああ、このための石段なのかと合点がいったように思えて少女を振り返ると、いつのまにか少女の姿が消え、石灯籠だけがちろちろと燃えている。灰色のものはそれが当たり前のように私の傍らに腰掛けた。
何でも年の頃六、七歳と思われるおかっぱ頭の少女の手を引いて薄暗い海岸べりを歩いている。午後も大分遅いと思われるのに、水平線まで厚い雲に覆われて日が差す気配もなく、いつの頃合いなのかいっこうに判らない。見上げると灰色にたれ込めた部分と黄色に染まった部分がうねうねと果てもなく続き、鰻の腹を思わせる模様を描いて何とも気味が悪い気配である。
なぜか少女はしくしくと泣き続け、ときおりトゼンネと呟いていた。言葉の意味は判らないなりに、なんだか胸を衝かれる想いがして足を速めたが、さりとて自分がいったいどこに向かおうとしているのか、そもそもこの少女がどういうものかについては何も思い当たるところがなかった。
やがて、浜に一人の女が立っているのが見えた。この少女の母だろうかと思ううちに、ぱっと少女が手を離すと「あいがとぐぁし」といって女の元に駆けていく。手を離された自分は、不意に錘りがとれたかのようで体がぐらぐらとした。女はじっとこちらを伺っているようで、ぐらぐらと体が浮かぶように感じながら私はその目に射すくめられていた
沖縄の久米島といえば、行ったことがなくても焼酎の名前などでご存じの方もいるだろう。東シナ海に面し、ほとんど日本とは思われないこの南の果ての島でイニンビーという不思議な話を聞いた。
島にはヒヤジョウパンタと呼ばれる断崖絶壁がある。夏に訪れれば美しい珊瑚礁を見晴るかす雄大な景色が楽しめるが、実は荒涼と風の吹きすさぶ寂しい荒れ野という形容がしっくりとくる最果ての地で、この先に人が住まない無限の海が広がることをまざまざと感じさせる場所でもある。この丘にたつと、海原にはての浜と呼ばれる不思議な島めいたものが見える。青緑色の海の中に突然草一本ない砂浜だけがぽかりと浮かび、なるほどはての浜なのだなと感じられるが、秋、独りでこの地に立つとごくまれにはての浜に立つ女を見かけることがあるという。
女はたいてい白い単衣を着て、水字貝と呼ばれる大きな棘を広げた異形の貝殻を持って立っているのだそうだ。今にも海に呑まれてしまいそうな砂州に、船らしきものも寄せずに独り立ち尽くす女を見かけたら、決して目を合わせてはいけない。そんな晩には必ず、沖を一群の漁り火めいたものが列をなして通り過ぎるのが見えるという。女と目をあわせ、イニンビーと呼ばれるその沖の火を見てしまった者は、大概どこかへ失せてしまうと島の者は言っていた。
イニンビーは遺念火と書く。いつか女の姿を見たいとたびたび訪ねてみるのだが、どうやら私にはその資格がないらしい。消えてしまった人々がどこにいってしまったのかは誰に聞いても判らなかった。
またどこからともなくざあっという音が木霊し、うららかな秋の空を通り過ぎていった。聞きようによっては風に揺らぐ竹林かとも思われるが、のんびりとした田園の見渡す限りにそんなものはないし、海鳴りにしても海から離れたこの村でそんなものが聞かれるとは思えない。こう晴れた空の下でこんな音を追いかけているとどこか狸囃子めいて滑稽で、知らずうきうきとした気分になってきた。
地元静岡ではこの音をナミウチと呼ぶ。何かは判らないが神様のたぐいだという者もいる。音に惹かれて歩き続けたがいっこうになくなる気配も近付く気配もない。そのうちに、小さな古びた社にたどり着いた。
誰もいないがらんとした社で立ち尽くすと、遠からずまたざあっという音が通り過ぎた。気になって社をのぞくと、年の頃五、六歳と思われるおかっぱの少女が何か小さなつづらを持って立っている。なんだろうと思って見続けるうちに、少女の持つつづらが幾分開きかけているように思えてはっとすると、急に後ろで一際大きなナミウチが聞こえて、強い潮の香りがあたりに立ちこめた。
八丈島といえば誰知らぬもののない流人の島だが、現代では1時間ほどの空の旅でついてしまう釣りの島であって、伊豆に釣りに出かけるよりもずっとお手軽な遊び場に過ぎない。であるから、「鳥も通わぬ八丈の」という風情を味わいに訪れても出迎えるのは名物くさやと焼酎ぐらいなものだ。
その日は折悪しく天気も悪く、釣りを趣味としない身にはこれといってやることもないので、旅館で傘を借りて街をぶらついてみたのだが、行き交う人もなく、海もなんだかうすぼんやりとした紗幕に包まれて、どうにも気の滅入る光景であった。気まぐれに入った茶店でビールの大瓶を注文し、なすこともなくしばらく杯を重ねていると、やけに鋭い目つきをした胡乱な男が向かいの席につき、こちらをじっと眺め始めた。どうにもいたたまれない感じがして席を立とうかと思ったのだが、なぜだか男の目に射すくめられたかのようで席を立つことができない。不意に男が「ショカンノージャ」と呼びかけてきた。「知っているだろう」という意味の島言葉なのはしっていたが、何のことを言っているのか判らない。すると男がその気配を察したのか、怒っているようにも見えて、ますます縮こまっていると、自分でも意識しないままに「ショッキャ」と呟いていた。
佐渡にはたらい舟というものがあって、素人では満足に漕ぐこともできないのだが、熟練した漁師の女房などはこれで波の荒い佐渡の海をすいすいと渡っていく。船のように舳先というものがないので進む方角も波に逆らうのも乗り手次第という中々にひやひやする乗り物ではある。
あるとき佐吉という漁師の女房おしまがこのたらい舟で海藻なんぞをとっていると、海から目も口もないただ白い餅のようなものがぬっとばかりに現れてたらいにのしかからんばかりにやってきた。たまたま節分ということもあり、たらいに豆を乗せていたおしまが慌ててこれを投げ付けると、その餅の固まりのようなものは怯んだ様子を見せてたらいの周囲をうろつき、やがてとぷんと海に潜って二度と浮かび上がってこなかったという。
浜に戻ったおしまが古老に尋ねるとそれはトンチブだろうとの話だった。トンチブとは、土地の言葉で狢のことらしいが、なんでわざわざ山の狢が海に化けて出るのか、あるいはよく判らないものに適当な名前をつけただけの話という気がしないでもない。
そのあたりは海にほど近いとはいえ一面の枯田であり、なぜ取り残されたようにぽつんと竜宮社があるのかどうにも不思議である。周辺をぶらついてみたが、ただ山の端までさわさわと枯野が広がるばかりで、社の由来を示すような立て札ひとつあるわけでない。昼間とはいえ、この農閑期では通りがかる人とてなく、なんとも寂しい風景にその社だけがなんだか片付かない様子で鎮座しているといった格好である。
ふと気付くと、かろうじて目の届くところに老婆が独り座り込んでなにやら藁を編んでいる風が見えた。何の気なしに話しかけて社の由来を聞いてみると、何でもこのあたりは昔海だったものを干拓したらしいが、その際に齢十九の娘を人柱として埋めたのだという。社は娘を祀って建立されたもので土地の者はガランサーと呼んで恐れているのだそうだ。
老婆は藁を器用に編んで人形を作っている。社に目を戻すと、いつの間にか薄灰色の狐が社の影からこちらを見ていた。老婆は別に驚くでもなく人形を編み続けている。狐は徐々に増えているようにも見える。誰独り通ることのない枯田に老婆と狐と社だけが風に吹かれている。
昔鹿児島の奄美にはケンムンと呼ばれる不思議なものが住んでいたそうで、何か奇妙なものを見聞きしたときあれはケンムンだと口々に語ったらしい。伝わる話では、旧暦の4月頃、産卵にくる海亀の見張りに漁師が夜浜に出ると、ガジュマルの木に大きさ三寸ほどの真白い火の玉がほわりと灯り、いぶかしく見るうちに火の玉はみるみる三尺ほどにもふくれあがるや数百の玉となって飛び散ったという。
ケンムンとは木の精らしい。前述のような美しい話も残るのだが、また別の話では、隣家の人妻に恋した男が旦那を海に誘い出して沈めてしまい女に求愛したところ、島に残る大樹に両腕を回せるならお前の求愛を受けようというので喜んで腕を回すや否や、両腕を木の幹に打ち付けられそのまま男は呪詛の声をあげながら死に、その怨霊がケンムンとなったという血腥い話も伝わる。学校の裏手に生えた老松に、夜毎青白い火が灯るのを「ケンムンウマツ」と呼んだという話も今に残る。沖縄のキジムナーとよく似た話が多く、ガジュマルの精霊という意味合いがあったのだろう。ケンムンがどんな姿形だったのかはよく判らない。